raahii.meのブログのロゴ画像

ウェブログ

「複利で伸びる1つの習慣」を読んだ

ジェームズ・クリアー 「複利で伸びる1つの習慣」

ジェームズ・クリアー 「複利で伸びる 1 つの習慣」を読んだ。

習慣について明らかにするとともに、習慣を構築することと捨てることのコツが書いてある。良い習慣をどうすれば身につけられるのか、悪い習慣をどうすれば断てるのか。個人的には前者に興味があったので読んだ。

習慣形成のプロセス

後から振り返られるように、習慣形成のプロセスについてだけまとめておく。習慣は次のサイクルがループすることで成立する。これを「習慣ループ」と呼ぶ。

  1. きっかけ: 行動の起点、報酬を予測させるわずかな信号や機会
  2. 欲求: 行動につながる変化への欲求
  3. 反応: 習慣となる行動の内容
  4. 報酬: 行動によって得られる利益

「きっかけ」がなければ習慣ははじまらない。「欲求」が弱ければ行動する気にならない。「反応」(行動内容)が難しければ行えない。「報酬」が願望を満たせなければ、今後それを行う理由がなくなる。

詳しくは書かないが、習慣を確立するために本書では次の提案をしている。

  1. きっかけ → はっきりさせる
  2. 欲求 → 魅力的にする
  3. 反応 → 易しくする
  4. 報酬 → 満足できるものにする

感想

「『きっかけ』をはっきりさせること」と「『反応』を易しくする」に着目して読んだ。

例えば筋トレを習慣化したいとして、次のような習慣を設計したとする。

  1. きっかけ → 仕事が終わったら
  2. 欲求 → かっこよくなりたいので
  3. 反応 → 腕立て伏せを 20 x 3 セットする
  4. 報酬 → 腕がパンプする、プロテインもうまい

この設計には改善できる 2 つの点があると思う。

1 つ目は「きっかけ」だ。仕事が終わったら筋トレを始める、というのは一見明確なものに思える。だが実際には残業することもあるだろう。仕事が終わるのが遅くなると、筋トレよりも先に夜ご飯を食べたくなるかもしれない。きっかけが不安定だと行動が始まりづらくなる。

改善策は、きっかけにブレの少ない頑健なものを選ぶことだ。そのコツは「すでにある習慣を使う」ことだと本書にある。例えば、朝散歩する習慣がすでにあればそのままジムに行って筋トレをすると良い。もっというと、すでにある習慣は自分のものじゃなくて良い。家族の誰かが仕事に行くタイミングで自分も一緒に家を出てジムに行く、という風にもできる。このアイデアは結構好き。

そしてもう一つの問題点は「反応」だ。腕立て伏せ 20 x 3 セットという行動は、もしかしたら退屈で難しいかもしれない。行動が難しいと「欲求」がそれに負けてしまいサイクルを止める原因となる。

改善策は、とっかかりやすくすることだ。腕立て伏せを 3 回するに変えるのが良い。一度行動を始めればその後は惰性で続けやすいので、実際にはより多い回数に取り組める。その他の、「まずはプロテインをつくる」とか「音楽をかける」など、簡単なタスクを先に置くのも良いと思う。筋トレに関係なくタンパク質は不足しがちなので、やる気がでなければプロテインを飲んで終わりでもよい。サイクルを止めないだけでも価値がある。

「きっかけ」と「反応」に対する改善策を挙げたが、逆に「欲求」と「報酬」については、習慣を構築したいと思った時点で自然と決まっていることが多いと思い、今回はあまり注目しなかった。「欲求」は習慣をつくりたいと思った動機なので最初からあるはずだし、「報酬」はその日その行動をできた事自体が満足感として得られると思う。ただし、何ヶ月も筋トレをしているのに一向に変化がない、という事態になると話が変わってくる。それは行動の内容が間違っていることになるので、報酬設計よりも目標に対する行動戦略の見直しが必要だろう。「報酬」を変えるとすると、ボルダリングに行くなどして別の形で腕を鍛える、成果を見える化する、などがあるかな。いずれにしても、習慣を形成する短期的な報酬とその習慣がもたらす長期的な報酬というのは別に考える必要があると思う。

さいごに

習慣の効果をよく表した私が好きな文章を引用。

同じように習慣も、決定的な境界を超えて新しいレベルの成果を引き出すまで、何の違いももたらしていないように見えることが多い。どんな目標でも、初期や中期の段階には「失望の谷」がよくあるものだ。直線的な進歩を期待しているので、最初の数日間、数週間、そして数ヶ月でさえあまり変化が見られないことにがっかりする。なんにもならないように感じられる。それがあらゆる形成過程の特徴であり、もっとも強力な成果は遅れて表れてくるものだ。 (p.31)

「何をやっても無駄に思えるとき、わたしは石工がハンマーで岩を叩き割るのを見に行く。おそらく 100 回叩いても、岩にはひびひとつ見られない。ところが 101 回目に叩いたとき、岩はふたつに割れる。岩を割ったのは最後の一打ちではない ── それまでのすべての殴打である。」(p.33)

実は偶然、この本を読む少し前に、石工が岩を割る様子を TikTok で見ていたから妙な納得感があった。

@ahmetpehlivanoglu1 #kayseri #ağırnas #taşocak #emek ♬ orijinal ses - Ahmet Pehlivanoğlu

TikTok は時間泥棒だけど、普通に生活していたらまぁ見ないような光景が自然と流れてくるところが面白い。